GS マニフェスト

今日のブログは、KBスポーツ・リフティングを真剣に行っている方、これから真面目に始めたい方そして10月の訪日イベント参加予定をされている方に是非読んで頂きたい内容です。

昨日ヴァレリー・フェドレンコがKB業界に向け長い声明文を発表しました。文のタイトルは「ケトルベル・スポーツ・マニフェスト」です。

日本でもKBの世界に興味を持ちある程度勉強してきた人であれば、KBスポーツ競技者でなくてもフェドレンコの名前くらいは聞いた事があると思います。彼が200件以上アップしているKBテクニック紹介動画(⬅クリック)や彼のバイオグラフィーやリフティング動画を見た事のある人も多いでしょう。

カザフスタン国出身のフェドレンコは12歳からKBを始め1990年、17歳でMS(世界初)になり、その後MSIC, ワールド・チャンピオンそして世界記録を更新し続けた人であり、アメリカに最初にスポーツベルとGSを持ち込んだ人として有名です。アメリカのGS(Girevoy Sport)の開拓者と言えます。 セルゲイ・ミシン同様、フェドレンコも世界のKBスポーツ史を語る上で外せない名前なのです。彼はワールド・ケトルベル・クラブ(WKC)の主席顧問であり、彼のデザインした“ヴァレリー・フェドレンコ”刻印入りスポーツベルは長い間(ロシア以外の)世界のGSスタンダードモデルのベルとして定着していました。現在世界で売られている様々なブランドのスポーツベルも、恐らく90%以上はフェドレンコのベルがモデルです。そして私もJWもドルビーも、更にスティーブコッターや現在GS界で活躍している多くのトップ指導者達もフェドレンコから指導を受けてきました。アメリカにGSを持ち込んだフェドレンコはWKC/AKC(アメリカン・ケトルベル・クラブ)のリーダーとして指導し、WKCは数々の競技会を開催してきました。(JWは当時、WKCインストラクターの中でも数人しか居ない“マスター・インストラクター”でもあったため、2009年には東京でWKCのトレーナー資格コースを開催・指導しました。なので現在日本には数名のWKC資格インストラクターさんがおられます。)この当時は、ハードルタイルのパヴェル、そしてGSスタイルのフェドレンコという素晴らしい2人のリーダーがKB界の代表的存在でした。

その彼はある時から、世界の標準GSベルとして定着したベルの生産をばっさりと打ち切り、(全く新しいスタイルのベルの生産を始めた)、そして昨日「WKCは予定されていた競技会開催を全てキャンセルし、今後競技会の開催も一切行わない」と表明したのです。さらに「私は(旧)ソ連のシステムに基づいたHMSタイトル(MS栄誉賞=KBスポーツランクの最高峰タイトル)の肩書きも放棄する」との声明。世界最初の“KB世界チャンピオンになった”という事実は消えないし、HMSであったと言う事実も消えないけどHMSタイトルを放棄したという事実もGS史に残る事となります。 これらの事実は何を意味するのでしょう?
日本ではまだGSあるいはKBスポーツという言葉を聞いた事がある人は少しずつ増えてきても実際に真剣にGSをやっている、又はやろうとしている人は少数派なので、これら以外の方々には何の意味もない事でしょう。しかし少なからず私のこのブログを読んで下さっている一部の方々には、私の困惑を知って頂ければと思います。少なくとも業界の中で私達とGS同世代の人達はこの彼の声明文を重く受け止めています。

何故彼はこのような長い長い声明文を発表したのか・・・ (英語の本文を見たい方はこちらをクリック。かなり長いです。)
近年欧米ではKBスポーツが急成長をしており、世界各地でKBスポーツチームやクラブが盛んに活動しています。それに伴い大きな組織間での政治的な問題も多発してきました。この業界では組織によって独自のルールやランキングシステムを作っていて、小さなクラブやチームは大きな組織のどれかのランキングシステムを使用しています。フェドレンコは、“昨今のKB競技会では誰もが簡単にメダルを手にしてしまう。=主催者が簡単にメダルを渡してしまう。競技会はフレンドリーな雰囲気で友達の集会のようで、MSタイトルも(自分が血の汗を流してプラットフォームの上で戦ってきた頃と比べ)容易に与えられるようになってしまった。”“オリンピック・リフティングの大会では1レップに付き3名の審判が判断を下すのに対し(欧米の)KB競技会では主に審判は1リフターに付き一人。KBスポーツで決定的に大事なフィクセイションにしても、完璧なフィクセイションでもちょっと怪し目のフィクセイションでもカウントされたりする。”などという事を書いています。 昨今のKBスポーツの流行で一般人が趣味の域でKBスポーツをやったり超ビギナーが競技会に出ても、フィクセイションが多少怪しくてもカウントされ、優勝し、メダルをもらい、ランクを獲得したりする・・・・。要するに彼はKBスポーツのレベルの低下とあやふやな審判、そして組織間のわだかまりなどについて疑問視し、嘆かわしく思い、落胆して「私(とその組織WKC)はもう業界を先導する役目から降りるから、後は君たちが私のこの声明文をよく噛み砕いて、考え、自分たち(KBスポーツ)の将来を作って行ってくれ」といったメッセージを送ったのです。私は彼とけっこう親しいので時々オンラインで雑談をしますが、つい最近のチャットでは「最近はKB組織の名前に”連合、連盟”とかという文字をつけているが実際はどこも独裁者ばかりだ」などと言い、彼は業界の政治にも疲れ切っているように感じました。ちなみにWKC組織自体は今まで通り存在し、ベルの販売やオンライン指導などは引き続き行うようです。個人的にはフレンドリーな雰囲気の競技会が良くないとは私は思いません。このスポーツを初めて経験する多くの一般の人達にもGSの楽しさを知って欲しいと思うし、その為には始めは”仲間の頑張りをサポートし合う”フレンドリーな雰囲気も必要だと思うので、彼の声明文の全てに賛同は出来ませんが、それでも彼の言わんとしていることは理解出来ます。

彼の声明文を読んで米国KBスポーツ史の一幕が閉じられた気がしたのは私だけではなかったと思います。しかしこれはKBスポーツそのものの歴史の幕が下りた訳ではないので、ここから先私達がこのスポーツに対しどう考え、如何に行動し将来を作って行くかと言う事が重要です。 私達=OKCのスタッフ達は、過去7年ほどの間にフェドレンコ始め、パヴェルやスティーブコッターやマイクマーラーやロシアのチャンピオン達など沢山の素晴らしい指導者達から学んできました。そしてOKCは現在米国で2番目に大きなKBスポーツの組織に成長しました。ロシアや他の外国でもKBスポーツの世界ではOKCや私達の名前を知らない人は少ないと思います。
そんな中で、OKC(OKCJ)はこのスポーツの発展と質を高めて行くことに責任を感じています。
国や政府が“ナショナル・スポーツ”として経済的、政治的サポートを行っているロシアや旧ソ連の国々と違い、欧米やアジアではこのスポーツは歴史が浅く、殆どの人が趣味の域から始めます。フェドレンコは「ティーンエージャーの時、他の友達と遊びたくてもトレーニングは週7日、一日3回行うため若い日々の殆どの時間をKBトレーニングで費やした」と言いますが、現代そのようなKB生活を行う人はロシア人を抜かせばまず居ないでしょう。趣味というのは娯楽の一部です。読んで字のごとく、娯楽だから楽しくなくては趣味になりません。毎回のトレーニングが辛過ぎて、どんなに頑張っても目標レップ数に届かず、競技に出ても勝つ喜びがなければ楽しくなく、持続させて行く事が困難になってきます。テニスやマラソンの人口は大規模ですが、多くは趣味で行う人達です。KBスポーツも趣味で行う人が居て当然です。しかし、たとえ趣味の領域でもスポーツとして行い、目標に向かってトレーニングするのならそのスポーツやルールをリスペクトし、リフトしている瞬間は全力を尽くして欲しいと思います。勝利は誰かが下のレベルに落ちてくる迄待つのではなく自分で勝ち取るものです。たとえ趣味であっても、このスポーツを行うなら、自分の人生の一部をその瞬間瞬間に賭けるつもりで行って欲しいと思います。私達(OKC/OKCJ)は、この情熱を皆さんに持ってもらえる為に指導したり競技会を開催したりするのが使命だと思っています。

デニス・ヴァシレフのコーチはラチンスキー。JWのコーチはデニス。ジュリエットのコーチはJW, Junoのメンバー、ヴァイルのコーチはジュリエットそして更にヴァイルにも数人の生徒が居ます。ようするに、ラチンスキー(祖父コーチ)➡デニス(親コーチ)➡JW(子供コーチ)➡ジュリエット(孫コーチ)➡ヴァイル(ひ孫コーチ)という系列が出来ています。大ボスのラチンスキーの教え、そして彼のクレイジーなKBリフティングに対する情熱はずーっと下のヴァイルの生徒まで引き継がれているのです。デニスはJWに「トレーニングであっても、(メインセット時に)一度ベルのハンドルを握った瞬間から“このセット(目標レップ数)をクリアするまで死んでもベルを離さない”覚悟でリフトを行いなさい」と言ったそうです。普段温和な彼のKBスポーツに対する信念を垣間みる重い言葉です。この場合“執念”と言った方が的確かも! 

現代社会では娯楽が溢れかえっています。食べ歩きや、ビデオゲームやDVDや映画や旅行、、、。飽きっぽい現代人はKBスポーツも楽しくなければ続けてくれません。 だから私達もこのスポーツが“滅茶苦茶楽しい”と思ってもらいたいのですが、と同時に、スポーツなのだから必ず苦しい時が来る。苦しくて辛くても、手の皮が剥けても血が出ても、やるからには真剣勝負で臨んで欲しいのです。 だからこそOKC/OKCJの資格コースの実技試験のレベルは簡単に手の届かない位置に設定されているのです。そして苦労と必死の頑張りの暁に得られた勝利や合格(資格コースの試験等)は”あなた自身で勝ち取った勝利”なのです。

私達のスポーツの夢はオリンピック種目になることです。
業界ではオリンピックを目指して少しずつですが動いています。私はいずれはオリンピック種目になると信じていますが、それが実現したら、、、、その時は私じゃなくて誰か他の方が統制をされているかも知れませんが、日本代表チームが出来上がっていて欲しいというのが私の個人的な夢です。

このスポーツが、どこから来て、どこへ向かい、そしてどこへ辿り着くのか。
このスポーツに興味がある人には是非少しでも考えて戴ければと思います。

OKCJ資格コースの早割り締め切りは今月末です!!! 
早期割引期間をお見逃しなく! お早めにお申し込み下さい。お申し込み先はこちら(⬅クリック)から。