OKC ジャパンツアー終了

2週間。

それはそれは長くて、それでいてあっという間の期間であった。

2週間前、私とJWとドルビーは3人それぞれの地域からそれぞれの時間に成田に着き、落ち合った。そして今日、私は2人を成田に見送り、彼等は沢山の思い出とお土産を抱えて帰路へ着いた。3週間後にはOKCワークショップがオハイオであるので又3人で会えるというのに、JWを見送った数時間後ドルビーともさよならと言う時からずっと涙が止まらない。なんとも情けない事だが、私達はこの2週間、1日24時間生活を共にし家族の様に濃い関係を築いたので今2人が去って行った後私の心の中はポッカリ穴が開いてしまったかのように寂しさで一杯である。

2週間、笑いの耐えない毎日であった。私達は総計50人以上の人達にケトルベル指導をし、OKCイベントは大成功に終わった。セミナーやワークショップでは3人でそれぞれの役割をこなし最高のチームワークで力を出し合った。私達はTシャツやインディアンクラブや雑誌や書類の入った重いスーツケースを10数個抱えて旅を続けた。 彼等は日本円を1円も所持しておらず、又日本語も全く出来ないので私が会計の全てをまかない、移動やイベントの打ち合わせや会議や交渉や小間使いや切符や宿泊の手配等は全て私の仕事であった。その代わり彼等は私の30kg以上あるトランクやバッグを常に持ってくれた。又、両の親が病気で辛い状況下にあった私を励まし笑わせるのも彼等の“任務”だったようで、彼等は毎日手を変え品を変え私を笑わせてくれた。

イベントや移動日の合間の僅かなオフタイムには色々な所に連れて行った。 ゴールドジムでは3人でトレーニングを行い、ドルビーは20分間、私は30分間のロングサイクルのタイムセットを行った。秋葉原の電気街や100円ショップやドン・キホーテの店ではJWとドルビーはもう大はしゃぎで彼等はコントロール不能状態。大阪のホテルでは「食べ放題飲み放題」のキャンペーンでJ&Jの二人はお気に入りのチューハイを各自10数杯ずつ飲み店員に呆れられた。その後2人は「カラオケに連れて行けー」を連発。 カラオケ屋で数時間、更にチューハイを飲んで大シャウトしまくり、その後夜の怪しいエリアでは、呼び込みのお兄さん達やホステスの女の子達を店や路上で”人間ジャーク“したりチカラ比べをして路上に人だかりを作った。京都では旅館に泊まり、J&Jは畳と敷布団に大感激。大阪でイベント終了後の夜に京都へ移動したのだが、京都のすき焼き屋ではドルビーは清楚な着物のウエイトレス佳代ちゃんに一目惚れし、その後幽玄なる祇園の小路 では「ビューティフル!」を連発。翌日ドルビーは三十三間堂の1001体の立像に感激で言葉も出ず、清水寺ではインディアンクラブを振った。 その直後大急ぎで東京へ戻り赤坂の街を 漫歩。翌日は渋谷の東急ハンズで地下から5階まで全ての階を大喜びで見て回る。その夜は日本最後の夜だったので、3人で夜中2時過ぎまで最後のお祝い&打ち上げを行った。

私はホテルではスケジュール調整やイベントの最終チェック、会場側やスポンサーとの打ち合わせやJ&Jの「〜〜したい。〜〜に行きたい。〜〜が欲しい」をなんとか叶えようと四苦八苦で、ブログやFaceBookをチェックしたりなどの自分の時間は全く無かった。しかしJ&Jはイベントは全力で行ったし、イベント前やそのあとには数時間かけて真剣に打ち合わせや反省会を行った。私達は仕事には一切妥協はしたくはなかった。 その結果沢山の方から「楽しかった」「沢山学んだ」という嬉しい感想メールを戴いた。 防府ではドルビーが最後の挨拶の時、感極まって思わず男泣きし、つられて私や参加者の方々までもがもらい泣きした。ドルビーも私もイベントで涙したなど初めてである。彼の暖かな人間性はイベント参加者の殆どの方に伝わったと思う。

とにかく忙しかったけれど素晴しい2週間であった。 そしてこのイベントを成功に導いて下さった関係者や参加者の方々には心から感謝している。そしてバックリーとドルビー。この2人とは今回掛け替えの無い貴重な時間を共有し、確かな絆をむすんだ気がする。
今回の訪日イベントを成功に導いて下さった関係者や参加者の皆様、どうも有り難うございました。

ナゾ