そして・・・・・

数週間前母が他界しました。

母・・・・・・一年強ほど痛みや吐血に苦しみガンとの壮絶な闘いを経て、最期はとても静かに安らかにその人生を終えました。
生け花やレザークラフトや料理、茶道、着物の着付けなどを教えていた母にはいつも沢山の取り巻きやファンが居ました。 明るくて華やかで絶対的な存在感を持っていた彼女は、どんな人にでも分け隔てなく笑顔で接して、またとても美しくそして恐ろしく強い精神を持った女性でした。 この20年近く、両親とは年に1〜2回しか会っていなかったので、今しばらく会えなくても又半年か一年後位に日本に来れば母にも会える様な感じがします。もうこの先ずっと逢えないという実感は,,,,まだありません。。。。。

日本一の緩和ケアースタッフ・・・・・母は本当は2月に他界している筈でした。(医者説)それが3ヶ月以上も延命できたのは奇跡で、本人の強いポジティブ精神と私達家族が毎日そばに付き添っていた事が大きいかもとの医師団の話でした。しかし、私達家族はここの緩和ケアーの医師団やスタッフが本当に素晴らしかった事も大きく影響していたと思います。医療行為以外に母が欲しい、或いはして欲しいという事を、スタッフ達の本来の仕事の範囲を超えても叶えてあげようとする姿勢で、例えば、母の足がむくんで痛くて夜眠れなければ睡眠剤や鎮痛剤等のほかに、看護師さんが自分で買ったアロマオイルで夜中何時間も母の足をマッサージしてくれたりしました。又、他の看護師さんもいつも自分のアイデアでその患者さんにあったアロマの香りを部屋に撒いてくれたり、足のつめを切った後に爪をきれいに磨いてくれたり、彼女達の懇親的な働きぶりは文字通り”白衣の天使”って、ホントに居たんだな〜〜と感心させられるものでした。 私は海外で何度も入院経験がありますが、米国などでは看護師さんに「ここが痛い」とか訴えても「私は今忙しいから夕方まで待って交替した後の看護師に言ってくれ」とか言われたりします。
母の緩和ケアーでは、私は病室にケトルベルを(最後には)2つも置き、毎日トレーニングなどしてましたが、看護師の多くがKBに興味を持ってくれ、母の担当経験のある看護師は殆ど皆私のトレーニングを応援してくれました。 トレーニングの調子が悪いと励ましてくれたり「今夜は自分達がしっかりお母さんを見てるから休んだらどうですか?」などと労ってくれました。 
ロシアから東京に帰った時私は父と緩和病棟に挨拶に行きました。
看護師の一人ひとりが私と父を見つけると飛んできて「お帰りなさい!」と言ってくれ、母へのお悔やみの言葉と共に、私達の居た病室はまだ私達が居るような気がする。 私達が居なくなってなんか寂しい。元気にトレーニングする姿が懐かしい。などと色々言ってくれ、私もここに暫く住んでいて、少しの間だったけどここは私の”家”だったので「お帰りなさい」と言われた途端にボロボロと涙が溢れました。 母の話になると看護師さんたちも皆泣いていました。そして父が私のロシアでの競技会の話したらしく、「ここで練習出来て良かったねー!」「おめでとー」と皆も喜んでくれました。 今後私は日本へ里帰りの時はいつもここに立ち寄ろうと思います。

ベルト・・・・・・母は私にロシア行きを勧めてくれました。私がロシアの競技会で入賞し、翌日メダルやトロフィーを持った写真をメールで送ったら凄く喜んでくれたそうです。 競技会では、母がよく身につけていた小さな金の仏像のネックレスをつけて行いました。そして亡くなる2週間ほど前、母は弱々しく震える手で自分のサインを私のベルトに書いてくれました。 そのベルトはそれから父や姉、そしてロシアでは競技会に参加していた、ジョニー・ベニ−ゼ、セルゲイ・メルクリン、S・ラチンスキー、デニス・ヴァシリエフ(全員IKSFA所属世界チャンピオン達)、以前IKSFAメンバーだった異端児世界チャンピオンのイゴー・モロゾフ、更にS・ペテルブルグ市長などからサインをしてもらった事は前回のブログでも書きました。そしてそのブログのあと更に、IKSFAコースでは伝説のS・ミシンやジャグリングのプリンセス、オクサナ・ニキフォーやスポーツ科学者のDr.チーホノフ教授やルドネフその他のチャンピオンコーチ達、そして私のKBファミリー、JWとドルビーなどの沢山の尊敬すべき或いは大切な人達のサインが入りました。 IKSFAリーダーのアレックスは「これほどのKB世界チャンピオン達のサインが入ったベルトは他にないだろう。これは額に入れて一生モンとして飾っておくべきだ」と言っています。・・・・私はその後も使いまくっていますが(笑)・・・・とはいえ、やはりこれは、、母のサインも入っているし、一生の宝物には違いありません。

ロシア・・・・・・・ロシアに行った時は母はまだ病床に居り、私は肉体的にも精神的に絶好調からはほど遠いコンディションでしたが、自分なりのベストを尽くしたつもりです。そしてやはり3人とも無理しても行って本当に良かったです。まず何よりもJ&Jとの久し振りの再会が嬉しかった! 次いで去年のコースでのコーチ達との再会が嬉しかった! 今回は定員より数人増えてしまい応募を途中で締め切るほどの満員御礼状態でしたが、これはこれで楽しかった!私はIKSFA指定カメラマンだったので10日間で約3千枚位写真を撮り、ラチンスキーのカメラのSDカードの情報も私のPCに全部入っているので、彼の撮った写真の分も合わせると大変な量です。 しかし、ラチンスキーはカメラマンとしてもプロ級でした。実に良い写真を撮っています。

ロシアの話はこれからゆっくりして行きます。

来週はいよいよ日本での用を一通り終え、いよいよNYへ帰ります。J&Jから「6/25のNY競技会へ出場しろ」と言われています。 全く、私はこんな時にトレーニングや練習などしていられるわけが無く、いい加減にして欲しいです。
先日一回ゴールドジムに行きましたが、今日もドイツ人のパーソナルトレーナーのホルガー君と一緒にゴールドでトレーニングしてきます。今でも人から母の事を聞かれたり、母の想い出話などを聞かされると凄く悲しくなりますが、それでも少しずつ元気になってきています。 
弱気になると、母から「しっかり頑張りなさい」と言う声が聞こえてきそうです。

ナゾ