過去最高のKB競技会カリ・オープン!

先週の土日にカリ・オープンが開催されました。

今回はアメリカ最大規模そしてロシア以外で世界でももっとも大きなKB競技会の一つとなりました。二日間に渡り140名ほどが熱戦を繰り広げ、会場のイノベイティブ・リゾートは歓声と熱気とそして涙で溢れました。涙には、頑張った選手たちの喜びの涙とともに、悲しみの涙もありました。 集合写真は二日目のものなので1日目のリフターがたくさん抜けています。

フィルのお話
私たちのKB仲間で、カリフォルニアでKBジムを経営していたフィルは昨年11月、心臓移植手術を行いました。彼は一昨年前も昨年もOKCのカリ・オープンに来て、昨年の北カル(ノースカフリフォルニア)オープンにも奥様と応援に来ました。移植手術後JWは何度か彼の病院にお見舞いに行きましたが、2月始めには容態が悪化し、私とJWはジムの仕事を全てキャンセルしてフィルの病院に飛んで行きました。その後一度は峠を越えて少し落ち着いたようだと聞き私もJWも胸をなでおろしました。その一方で、奥様やご家族は看護の為病院の近くに引っ越さねばならなかったり、フィルが働けなくて8人のお子さんたちとの生活費が賄えないし保険外の医療費等経済的負担があまりにも大きく、私たちはOKCイベントのたびにフィルの為の募金活動を仲間たちと行ってきました。 今回のカリオープンでも、フィルの募金活動の一環として特製Tシャツの販売をしました。売り上げは全てフィルのご家族に行きます。
カリオープン前日。私たちは16時からウェイ・インが始まり、私やJWはスタッフたちと会場のセッティングを行ってました。会場にはすでに沢山の人がウェイインに来ていました。その時JWから「10分前にフィルが亡くなったそうだ」と聞かされました。一瞬耳を疑いましたがその直後涙が溢れ出し周りが見えなくなってその場に崩れ落ちてしまいました。 しかし私よりもっと打ちのめされたのはフィルが大好きで彼ととても仲良くしていたドルビーです。ドルビーを知っている人なら皆想像できると思うけど、彼はいつ何どきでも自分より仲間の幸せや健康を優先的に考える心の深い人間です。その彼がどれほど悲しんだか。会場にはどんどん人がやってきて「きゃーーーっ、Nazo久しぶり〜!!」と駆け寄ってくる友達たちに、私は作り笑顔で答えられるようになるまで随分時間がかかりました。ドルビーは数時間会場から姿を消していました。

そしてJWとドルビーと3人で話し合い「明日からのカリオープンはフィルの為に行おう」と決めました。私は大急ぎで生地屋さんを探しまくり黒い布を数十メートル分買い、それを会場の天井からドレープ上に飾りました。

競技会当日
予想以上に沢山の参加者が集まり会場はお子様やご家族もいっぱいいて賑やかです。私とJWとドルビーは相談し、競技会の一番最初のフライトはフィルの為に行おうと決めました。大会開始の挨拶でJWが「昨日僕たちの親しいKB仲間が他界しました。今年のカリオープンも楽しみにしていたフィルの為に最初のフライトはフィルのフライトにしたいと思います。」と説明。会場イノベイティブ・リゾーツのオーナー、アーロンが慎重にBGMを選び(AC/DC)フィル一人のセットが始まりました。このフライトは3番のプラットフォームに32kgベルが1個置いてあるだけで、もちろんそれをスナッチするフィルの姿はありません。しかし、私たちにはフィルが実際にベルをスナッチしているように感じました。私は始め10分間みんなを待たせて大丈夫だろうかと不安でしたが、なんと会場全体がリフターのいない3番のプラットフォームに向かって声援を上げ始めたのです! 会場の多くの人たちはフィルに会ったことはありません。それでも私たちのフィルへの想いや友情をみんなが理解してくれたのです。 会場全体が一つになった〜ちょっと大袈裟だけどなんか奇蹟的な10分間に感じました。私やドルビーやフィルを知る仲間たちはみんな泣いていたので、私も一枚しか写真を撮る余裕がありませんでしたが、その一枚が次の写真です。JWとドルビーの間で電光カウンターのレップ数のボタンを押しているのがマイクです。

そしてこれがフィルのセットの最後の30秒ほどの会場の模様のビデオです。会場のみんなが立ち上がって姿なきフィルのリフティングに向かって大きな声援を上げています。みんなの心が通じた瞬間だったと思います。マイクは200レップスをカウントし私達は表彰式でフィルへのMSICタイトルの証書と金メダルをフィルの代わりにマイクに渡しました。 この後奥様から「KBという最高のコミュニティーに出会えてフィルは本当にラッキーでした。」とみんなへのメッセージがありました。

こうして今年のカリオープンは異例の始まりとなりました。
つづく